2020年2月16日日曜日

多読の効能

 外国語学習から多読を考えてみると、その効用はとても大きいです。多読がいいということはかなり浸透してきているようですが、実行している人はまだそう多くはないようですね。たぶん、効果の大きさが学習中に、はっきりと形にならないので、気付かれないためでしょう。 単語を丸覚えして翌日のテストで点数が上がるようなことはありませんし、多読を始めたからといって、その学期の成績が上がることもないですから。 特に文法の穴埋め問題に対しては即効性はゼロです。 しかし、たくさんの読書している人とそうでない人との差は、1年2年たてば、あらゆる面で顕著になります。 
どのようなメリットがあるかというと、まず、単語に関して言えば、量が増えるのはもちろんですが、語の持つコアの意味とその広がりを文脈から自然と分かってくるので、単語を正しく使えるようになります。 単語の問題を瞬殺で解けるようになりますし、作文でも自然に最適の単語をピックアップしながら和文英訳せずに、英語で考えながら書いていけるようになります。 単語本での勉強は、一見憶えるのに能率さそうですが、例文で覚えたとしても、単語を正しく運用できるまでには至りません。 単語は違った場面で、15回以上出会って初めて自分のものになると言われますから、文脈のない単語本の例文をしっかり覚えたところで、作文には大して役にはたたないのです。 もちろん、しゃべるのも同じ。 しゃべるという行為は、イコール書かない作文です。 多読していれば、頭の中に文のデータベースがあるので、いちいち会話本で覚えた文を思い出しながらひねり出す必要もなく、アラ、不思議、何となーく出て来るのです。 
リスニングにおいては、推測しながら聞く力がつきます。 実は、この推測して聞く、というのは母国語では無意識にしていることです。私達は日本語を音通りに聞いているわけではありません。100%聞き取っていたらとても疲れるのです。 崩れた発音、聞き取りにくい環境、省略や反復など、教科書的模範的ではない言い方を、聞き手は半分は文脈や文法力で予測しながら聞いています。 予測しながら相手の発音を自動的に脳が修正してくれているので、疲れないで聞き取れるのです。 外国語を聞いて疲れるのは、母国語より、修正や予測するためのデータが圧倒的に少ないからです。 多読は聞くためのデータ集めをしていると考えてもいいでしょう。
多読の効用についてお伝えしましたが、ここで注意しなければならないことがあります。それは、いい加減で当てずっぽうの多読ばかりしては、実力アップにはつながらない、ということです。 基礎文法と正しい発音をきちんと押さえた上での多読でなければ、効能は薄いでしょう。   
私が多読のすごさを感じたのは、中国語学校に編この入した2年生の時です。夏休みに本を1冊読む宿題が出て、分厚い小説を読みましたが、2学期になって自分でも信じられないほど実力が伸びたのを実感しました。 宿題を出された時には、たった1年の学習で純文学が読めるとは思ってもいなかったのですが、これが契機になって、多読の道に入ることができました。 私は元文学少女から文学おばさんになっていたので、もう楽しくって読みまくりました。 後年、中国語のコミュニケーションスキルテストを一発でいい点を取れたのはまさにこの時の多読のお陰です。英検1級も一発合格でしたが、それもアメリカの大学でやたら読まされたお陰です。どちらのテストも、受験のために過去問や問題集でリーディングやリスニングの勉強を一切やっていません。  
 

多読の効能

 外国語学習から多読を考えてみると、その効用はとても大きいです。多読がいいということはかなり浸透してきているようですが、実行している人はまだそう多くはないようですね。たぶん、効果の大きさが学習中に、はっきりと形にならないので、気付かれないためでしょう。 単語を丸覚えして翌日のテス...